花魁道中
昔、華魁が、揚屋(引手茶屋)に揚った客を迎えに行く道程をいい、
江戸町方面の客を京町の花魁が迎えるに"京より江戸へ"との事等から
"華魁道中"と云った。
現在、料亭松葉屋で昔の情緒を残す為に"花魁ショー"として観光客に供している。
見返り柳
衣紋坂
客が吉原土手より大門迄の間の五十間町の坂の途中で、
衣紋を正した事により、此の坂を衣紋坂と云い、
遊び帰りの客が衣紋坂を出た処に有る大きな柳の処迄来て、
名残りを惜しみ、吉原を振り返った事より此の柳を見返り柳と云い
現在の柳は三代目である。
吉原芸者
幕府の認知を持っており、仲之町芸者とも云い、
遊女との兼合から"芸は売っても身は売らず"と、
唯々芸のみに生き、その名を"吉原芸者"としてプライドと格式を全国に誇っていた。
仁和賀
毎年八月、男女芸者が種々の化粧をして、男芸者(封間)は、
芝居狂言に洒落を加え、女芸者は、踊り所作を披露、
これを車の付いた小舞台を小数作り、各々囃子方を連れて仲之町の御茶屋を
一戸毎に一狂言して廻った。
午の日
廊内の四隅にあった開運・榎本・明石・黒助稲荷と五十間の吉徳稲荷を集めて、
吉原神社として祭ってあるが、その縁日(午の日)には、
"水道尻通り"に屋台が出並び終日賑わったが、戦後交通規制等で自然と消滅した。
吉原狐
新吉原に限り、年越し大晦日に、狐の面をかぶり、幣と鈴を振り、
笛太鼓をはやして遊女屋に入った。
この狐に捕まると"子を らむ"と云われているので、
遊女達は、祝儀を出して逃げ回った。
狐は白面にて赤熊の毛をかむり、錦の衣類を付けて見事で、
長唄"吉原の狐舞ひ"がある。
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