「野暮天」(やぼてん)

 「おう留ェ、俺ァゆんべ、吉原に行って来た」
 「ほう、そいつァ豪勢だ。して首尾は?」
 「それが、深川八幡の力石(ちからいし)よ」
 「なんだい、その深川八幡の力石てえのは?」
 「てんで、持てやしねえ」
 「そりゃァおめえ、大方、女房ッ子のあるふりで行ったろう」
 「あァ、向こうへ行って、登楼(あが)ってナ、妓(おんな)が“おまえさん、おかみさん
 あるんだろう”て、きくからな、俺ァ正直によ“あァ、いい嬶(かか)ァだが、ここンとこ、
 障り(さかり・・月のもの)だから、しょうがねえ“って、言ってやった」
 「馬鹿だな、てめえは!正直すぎらァな。そんなこと言って、モテるわけがねえじゃァねえか。
 こんど行くときァな、少しァオツななりして、ひげでもあたってよ、独りもん
 というふれ込みで行かなきゃァ、振られるなァあた棒よ」
 「そうかい、そう言われりゃァ、そうに違いねえ。ゆンべの分を、今夜取り戻そう」
 てんで、日の暮れるのを待ちかねて、熊さんはまた出かけた。
 土手八丁から見返り柳、そこからトロトロと下ったところが五丁町、大門をくぐるて
 えと、まっづぐに仲之町、遊女三千人が不夜城を誇る吉原でございます。よしゃァいいのに熊公は、
 「おーッ、女房はねえぞ!俺ァひとり者だぞォ!」
 てんで、大きな声をはりあげて、江戸一(江戸町一丁目)から江戸二、揚屋町から
 角町、京一(京町一丁目)から京二、水道尻から河岸見世まで、自分を売り込んで歩く。
 これじゃァ、袖を引っ張る物好きな妓も、いやァしません。
 「やァい、俺ァ、女房はねえぞ!」
 って、吉原中をふた回りして、足を棒にして、もう引けどき(十二時)すぎ、お茶ァ
 ひいている(売れ残った)女郎をつかまえて、
 「俺ァ、女房はいねえ!」
 「おォ、こわ!」
 「子は、なおいねえ」


 *深川八幡の力石:
 近くの佐賀町あたりの力持ちが、大きな丸い石を抱え上げ、力を競った
 もので、今も八幡宮境内に「力持碑」とその力石がある。
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